オーストラリアとオーストリア

🕰️
2024.07.29

 

小学校の3年生だったか4年生だったか、夏休みの自由研究のテーマを「どこか外国ひとつ決めてその国の歴史や地理や文化を大きな1枚の用紙にまとめる」というポスター展示のような形式でまとめることにして、図書館へ本を借りに行った。

 

図書館へ行く時からどの国にするのかは決めていた。オーストラリアだった。今となってはなぜオーストラリアに決めていたのかまでは思い出せない。たまたまテレビ番組で観たのかなんなのか、当時の僕は海外の中でもとびきりオーストラリアへの憧れを強く抱いていたことは覚えている。

 

たぶん僕は中身も大して読まずに装丁の雰囲気で決めてきたのだろう、図書館で3冊くらい本を借りて帰宅してしばらくしてから母親が大笑いしながら話し掛けてきた。「オーストラリアのことを調べるんじゃなかったの?これ全部オーストリアの本だよ」と。

 

そう、全部ヨーロッパのオーストリアの本を借りてきていたのだった。 そう、ウィーンのオーストリア。

 

えええ〜と思ったもののまた図書館に往復する元気もなく、全然知識のないオーストリアについてパラパラっと中身を読み出したら、やっぱり0→1で頭に入れる知識って面白くて、そのままオーストリアについてまとめることにした。

 

人間、こういう予期せぬ事故のような出来事の方が何年経っても記憶に残っているもので、このことがきっかけでオーストリアの歴史を語る上で欠かすことができないハプスブルク家の華麗な興亡を象徴する「天は二物を与えず」という言葉を小学生にして刻み込んだのだった。

 

小学校低学年がオーストリアなどという渋いポスター研究をしたものだから色々な意味で目立ち、たしか金賞をもらったような記憶がある。

 

Copyright © 2024, kenta kawamura