Chronology

時系列の経歴・自分史みたいなもの

2023年02月

GMOペパボに参画

GMOペパボ鹿児島オフィス所属としてホスティング事業部のマーケティングディレクターとしてジョイン!

ロリポップ!レンタルサーバー/ムームードメイン/ヘテムル/グーぺなどホスティング事業のプロモーション施策の立案・実施・検証までを担当

GMOペパボの当時のオフィス、ビルの2Fワンフロアに執務スペースと交流スペースが展開されていた
2023年01月

mark MEIZAN主催イベントに登壇

mark MEIZAN主催イベント『マッチメイザン#4 カジュアルマッチング – WEBクリエイティブ –』にてウェブ制作業を営んでいる人たちを中心に仕事を発注する側・受注する側のマッチング交流会が行われ、そのプログラム内でウェブ制作会社の方とウェブ制作の受発注に関するパネルディスカッションに登壇

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2022年12月

MBC開発を退職

2022年いっぱいをもって約7年間在籍したMBC開発を退職

広告代理店部門においてウェブディレクション・インターネット広告メディアプランニングを中心に活動、ウェブ解析・ウェブマーケティング・コンテンツディレクションをより深く実践したい思いが強くなりそれが叶えられる場所に環境を変えることを選択

コンペ前は何度も徹夜して朝焼けを眺めたものです
2021年12月

ウェブ解析士26時間ぶっ通しセミナー登壇

2020年の25時間セミナーが面白かったということでウェブ解析士主催の年末長時間セミナーに再び登壇

第14部『美味しいマーケティング〜Googleマイビジネスの変更と飯テロ再び〜』というテーマでGoogleビジネスプロフィールの抑えておきたいポイントを紹介しつつ福岡の美味しいご飯どころも紹介するセミナーを福岡の上級ウェブ解析士の人と一緒にお話

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2021年11月

『プレスリリースかごしま』ローンチ

「鹿児島の情報を、きちんと鹿児島に届ける」をミッションに、地元特化型プレスリリース配信ウェブメディア『プレスリリースかごしま』をローンチ

基本無料でウェブサイトにプレスリリースを掲載することが可能

今後、プレスリリースかごしまの掲載から県内主要メディアへのプレスリリースの再配信やプレスリリース作成支援などを展開予定

プレスリリースかごしまのアイコン
2021年10月

再びMBCテレビ『てゲてゲーミング』出演

ウケが良かったのかよっぽどネタに困ってたのか、2021年10月22日・29日と2週に渡って、再びGoogleトレンドクイズをさせてもらい、今度は対決形式でクイズ出題者として出演

番組MC榮德多賀子さん・タレント竹之内雄太さん・鹿児島ユナイテッドFC応援リーダー田上裕さんと情報告知をかけて対決するという構成でGoogleトレンドを使ったクイズの早押しの出題役を務める

YouTube動画のサムネ、久しぶりにまたやりたいね
2021年03月

mark MEIZAN主催ビジネスマッチングウェビナー登壇

mark MEIZANが運営している『マッチメイザン』という会員制SNS上で仕事の発注・受注する上でデジタル案件の受発注をマッチングで成立させる可能性について、発注側・受注側の立場でディスカッションするセミナーに広告代理店のディレクターとして発注側の立場から過去の経験談や個人的感想を話した

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2020年12月

ウェブ解析士25時間セミナー登壇

ウェブ解析士協会が主催した『25時間連続セミナー』というイベントの1セッション枠で登壇、『地方デジタルマーケティングの現在地』をテーマに喋った

朝6時の回にも関わらず視聴人数も多く、参加する側としても第一線の方たちの刺激的な講演内容に大いに刺激された

告知画像、この頃の協会は変なイベントいっぱいやってて楽しかったな

2020年11月

鹿児島100人カイギ vol.5 登壇

「毎回5人のゲストに登壇してもらい、100人に到達したら解散する」というコンセプトの「100人カイギ」、鹿児島版が立ち上がりその第5回目のゲストスピーカーとして登壇

自分が鹿児島でどんなことをしているのか・考えているのかお話させていただいた

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2020年07月

MBCテレビ『てゲてゲーミング』出演

『#84 Googleトレンドクイズに挑戦!新ゲームに榮徳興奮!?』回にて当時ウェブ解析士協会内で遊んでいた「Googleトレンドクイズ」の仕掛け役として出演

YouTube動画のサムネ
2015年07月〜

MBC開発で広告代理店のディレクター

当時よくお仕事を振ってくれていたグラフィックデザイナーから薦めてもらったことがきっかけでクリエイティブディレクターとしてジョイン、MBCは鹿児島のTBS系列のテレビ・ラジオ局(南日本放送)

入社2年目でウェブディレクターとしてウェブ制作・ウェブ広告専属担当になる

本社コーポレートサイトのリニューアルと所属事業部サービスサイトのリニューアルをどちらも手掛けたのは嬉しい

○資格関係

  • 2017年:ウェブ解析士認定
  • 2019年:Googleアナリティクス個人認定資格(GAIQ)
  • 2020年:上級ウェブ解析士認定
  • 2022年:Web検定 Webディレクター取得
MBC開発本社の外観

2009年04月〜

フリーランスウェブデザイナー

交友関係が広がってちょこちょこと名刺制作やクラブイベントのフライヤー制作などをするようになり動き回れる時間を確保するためにショップ店員を辞める

○そこからの主な動き

  • クラブイベントのVJ
  • イベントの告知媒体制作
  • ブライダルムービー撮影のお手伝い
  • アートイベントの立ち上げ・運営・ディレクション
  • 鹿児島R不動産の立ち上げ
  • フォトスタジオ・スタジオアミ鹿児島の立ち上げ・運営
フォトスタジオ創設2期目くらいの頃の写真

2007年11月〜2009年03月

アミュプラザの眼鏡屋さんショップ店員

ふつふつとまたウェブの仕事がしたくなるが検索してもウェブ制作会社が見つからない、しかも鹿児島には親戚以外の知り合いがまったくいないのでバイトをして友だちつくろうと思い立ちアミュプラザ鹿児島に当時あったPOKER FACEという眼鏡屋のショップ店員になる

ここでお店の隣の洋服屋の店員と後の親友になり仕事後のカフェバー通いを通じて同世代のフリーのカメラマンの知り合いができたりクラブイベント行きはじめたりして交友関係が一気に広がりだす

これはおそらく天神イムズ店の写真、検索しても当時の鹿児島店の写真は出てこなかった

2007年07月

鹿児島へIターン移住

会社は辞めたものの大学も中退しているわけでさて僕は次にどこに身を置けばいいのだろう、そこでふと思い浮かんだのが母方の故郷である鹿児島だった

小さい頃から何度か行ったことはありいつかは暮らしてみたいと思っていたけどあまり先のことは考えず見切り発車で移住を決める

しばらくはおじいちゃんと太公望しながら暮らし暇そうにしている若人がいるぞと露天商をやっている親戚に声を掛けられて南薩地方の露天を手伝う生活、後半は一人でたこ焼き・かき氷・綿飴など全部つくれるようになった

鹿児島といえばそば茶屋こと吹上庵です
2007年06月

ウェブ制作ベンチャー退社

当時は在籍人数も少なく仕事の受注数もすごい勢いだったので仕方ないと言えば仕方ないが、心身のバランスを崩して長期出社できなくなった先輩や休憩に行ってきますと出て行ったきり戻ってこなかった先輩など次々に自分に近い先輩が壊れていくなかで、自分もキャパオーバーで壊れかけそうになったのでここで一旦休もうと退社を決意

 

2006年04月

千葉大学中退

ウェブデザイナーというやりたいことを見つけてしまったので大学で学ぶ時間に有意義さを見出すことができず退学しようとするが周りに慰留されて休学、休学明けに少しは状況が落ち着いているかと思ったがウェブディレクターになっていたこともありもっと忙しくなっていて結局大学はそのまま退学した

 

2005年04月

ウェブ制作ベンチャーにバイト入社

ウェブデザイナーになりたくて仕方なくなり大学OBが創業したウェブ制作ベンチャー企業にバイトで飛び込ませてもらう

フルFlashとガラケーサイト全盛期に先輩デザイナーやプログラマーに必死に食らいつく

あんなに大学のみんなとつるむのが楽しかったのにもう生活がウェブデザイン一色に染まった

そのまま在学中に正社員昇格しウェブデザイン部部長としてデザインとディレクション業務に邁進、当時はブラック企業という言葉も概念も存在していなかったが働き方はまさにそれで、でも楽しかったし学びばかりだったしいくらでも没入できた

今でもウェブ業界で仕事ができているのはこの時代があったからだなと心底思う

当時の千葉駅、モノレールを見上げるのが好きだった

2002年04月〜2006年04月

国立千葉大学

○1年生

  • 文学部行動科学科に所属
  • 全国各地から上京してきた学科の友だちと大いに遊び考え方の違いに大いに視野が広がる
  • 生協系学生団体サークルに所属、人種のるつぼに揉まれて更に更に視野が広がる
  • 授業レポート作成のためにはじめてPCを触る、瞬く間にPCという道具に夢中になる

○2年生

  • かねて志望していた心理学専攻に進級
  • サークル仲間とも盛大に大いに、これでもかってくらい遊んだ
  • バイトの個別塾講師と家庭教師も楽しくてめちゃくちゃ稼いだ
  • サークルの活動の一環でフリーペーパー制作をしたことが契機となりデザインに興味を持つ

○3年生

  • みんながゼミに所属して学業に専念する頃パソコンとデザインがやめられずウェブデザインに夢を見て独学でHTMLを書き始める
千葉大学の外観
1999年04月〜2002年03月

千葉県立幕張総合高校

おぼろげに覚えているエピソード

○1年生

  • 当時まだめずらしい全学区制だったので県内各地から集まってきたクラスメイトの洗練さにカルチャーショック
  • そんなクラスメイトの影響で色気づき、ファッションを覚える、すぐにローファー買って腰パンもして髪も染めちゃった、典型的な高校デビュー
  • はじめてのアルバイトはセブンイレブン、そこではじめての彼女ができる(実は外国人だったことが後に判明する)

○2年生

  • 学年で人気だったアイドル的存在の女の子となんの奇跡だったのか付き合うことができて人生のピークかと思った
  • その彼女がまあハイセンスなシティガールだったのでお台場に行くだのスタバに行くだのとトレンドがじゃぶじゃぶ洪水のように流れ込んで一気に大人になった気がした

○3年生

  • 担任の先生とどうやって国立大学に推薦合格できるか綿密に戦略を立ててその通りに逆算して実行、作戦は見事に成功し推薦合格できた、担任の先生には感謝の気持ちでいっぱい
  • 大学まで合格発表の掲示板を見に行って嬉しくて声も出なかったことは今でも忘れない
  • ギリギリまで受験勉強をしていたが毎日カフェベローチェに通って閉店まで過ごす中で店内BGMでかかっていたジャズやボサノヴァに目覚めた
幕張総合高校の当時に近い外観
1996年04月〜1999年03月

習志野市立第一中学校

おぼろげに覚えているエピソード

○1年生

  • ふわっと勧誘されて陸上部に仮入部するけどあまりに練習がしんどくてフェードアウト
  • 仲良しの友だちにふわっと誘われてソフトテニス部に入部、先輩との縦社会が思ったより強くてやや後悔

○2年生

  • 1年時の経験から入部してきた後輩にはすごく優しく接しようと心がけたし実際そうした
  • 女子と喋ってる方が楽しくて自分らしいと思い自分の中にある女子成分の多さを初めて自覚

○3年生

  • 担任の先生に狙えるぞと言われたランクの県立高校に学校見学へ行ったら中学よりも校舎が古くて雰囲気も暗く高校生活への期待感が打ち砕かれる
  • ランクをひとつ下に落としたところに3校統合による設立3年目の高校があり文化祭を見学しに行ったら全面ガラス張りの校舎オシャレなブレザー姿の高校生のキラキラした姿に一目惚れしてここに入学したいと強く決心
  • 推薦入試で受かると思っていたので落ちたと分かった時思い切りショックだった、けど一般入試で無事合格
第一中学校の当時に近い外観

1990年04月〜1996年03月

習志野市立谷津小学校

おぼろげに覚えているエピソード

○1年生

  • 担任の先生をお母さんみたいに慕う
  • なぜか6年生に可愛がられていてお兄さんたちの卒業が悲しかった

○2年生

  • 国語の教科書に載っていたレオ=レオニの『アレクサンダとぜんまいねずみ』に魅了されて物語って面白いなってハマる

○3年生

  • 体育授業でサッカーの上手な子におちょくられて自分の運動神経の悪さに絶望して泣いちゃう

○4年生

  • 3年生の時に嫌な思いをしたはずなのになぜかサッカー部に入部、DFとしてサッカーに明け暮れる

○5年生

  • 自習の時間に教室がざわつくと「静かにして!」と叫んで注意するくらいには真面目な子に

○6年生

  • 京都・奈良への修学旅行が楽しくて京都が好きになったきっかけに
  • 卒業前最後の大会で対決した相手FWから試合終了後「お前強かったわ」的なことを言われてものすごく全身が震えた記憶
谷津小学校の当時に近い外観
1987年04月〜1990年03月

第一くるみ幼稚園

おぼろげに覚えているエピソード

○年少〜年長

  • ものすごく先生を慕っていて大好きだった
  • ほとんど記憶にないけど年長さんの学芸会で『裸の王様』の主役:裸になった王様(全身肌色タイツ)の場面を担当し結構な量の長台詞をちゃんと喋ったらしい
  • 母親が制服に縫ってくれたドラえもんの刺繍を先生たちがすごく褒めてくれてそれがとても得意げだった
  • 親が買ってくれた安野光雅の絵本に魅了される
くるみ幼稚園の当時に近い外観

1983年07月

7月2日誕生

千葉県習志野市谷津にて誕生 おとこ3人兄弟の長男

○名前

「健康で太く」という親の願いからとはいえ当時はケンタ・タクヤが命名の上位だったのでその影響もあるだろう。ちなみに本当かどうかはわからないけれど同じマンションのママ友と2人してケンタと名付けたいと言ってたらしく先に産まれた方がケンタね!と言い合っていたのだそう。結果、半月くらい先に僕が産まれていて後に産まれた友だちの名前はケンジくんである

○幼少期

親は女の子がほしかったようで幼稚園に入園するまでの小さい頃の写真はどれも女の子みたいな写真ばっかり

髪結ばれてるくらい長い

 

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